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東北支援「健康棒ワークショップ」PART Ⅵ 報告

報告(2013年2月7日〜10日)

むすびば<いやし隊>気功チーム

「暖かい北海道に帰れる」

花巻空港発札幌行きJAL便の機内に向かって通路を歩きながら、思わず出た言葉が「暖かい北海道に帰れる」だった。それほどに冬の東北、大槌町は寒かった。屋外は北海道の方が寒いのだろうが、屋内はコタツにポータブルストーブだけ。住宅の機密度、断熱性もだいぶ違う。暖かいのはコタツに入れている足だけで、上半身は寒い。同行した難波さんは、防寒着を着て布団に入った。東北の人には当たり前の暮らしだが、北海道人にとってはきびしい。これは9日、個人宅に泊めていただいたときの話し。

1年3ヶ月ぶりの大槌町

今回の気功チームの岩手行きは1年3ヶ月ぶり。リーダーの小山内和子とメンバーの難波芳子、富塚廣は過去2回の大槌町での活動メンバーでもある。
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 東日本大地震により大槌町は町の大半を津波に襲われ、その後の火災もあって、死者・行方不明者数は1,300名を超えた。これは陸前高田町に次いで、県下2番目の被害規模である。
震災直後から安渡小学校の校庭にテントを張って寝泊まりしながら、安渡地区で支援活動を展開していた「ゆいっこ花巻」の増子義久さん(花巻市議会議員)たちのお世話で、私たちは2011年4月下旬に初めて安渡地区の避難所に入った。大槌町の町はコンクリートの建物以外、跡形もなく流され、瓦礫の山が延々と続く光景に言葉を失った。
避難所となった安渡小学校の教室と体育館には、所狭しと被災者がぎゅう詰めになっており、2ヶ月近くに及ぶ避難生活で心身ともに疲れている様子だった。そこでの「健康棒ワークショップ」は大好評を博し、「また来てね」と言われることも度々だった。

人口の4割がいまなお仮設住宅住まい

大槌町には現在48カ所の応急仮設住宅があり、4,769人(2012.11.30現在)もの人がいまもなお生活している。その数は人口13,000人の4割にもおよぶ。
私たちの今回の活動は、仮設住宅での「健康棒ワークショップ」とともに、昨年11月福島県飯舘村で実施した「健康棒楽々マッサージ指導員養成講座」を大槌町でも実施することだった。

2日間にわたり56名が参加した指導員養成講座

2月7日は城山公園にある中央公民館で大槌町社会福祉協議会と共催による生活支援相談員のみなさんを対象にした「指導員養成講座」を実施した。城山公園は町の中心部が見渡せる高台にあり、震災時ここに避難して助かった人も多い。
生活支援相談員は町内の仮設住宅を訪問して、悩みごとの相談にのったり、要望の把握、介護・福祉サービスの利用、集会所などを利用したサロンづくりなどの活動を行っている。その相談員のみなさん24名(内男性4名)が参加してくれた。
養成講座は、健康棒楽々マッサージと楽々ストレッチを各パート毎に一通り学んでいただき、後半はグループ毎に各パートを振り分け、受講者が講師になって全員の前で発表する。間違ったりしながらもみんなの前で発表することでマスターできる部分がある。こうして最後に指導員の認定証が小山内代表から授与される。
長期化する仮設住宅での生活、「東北人は我慢強いと言われるが、もう限界だ」
「なかなか町民の眼に復興の姿が見えて来ないので、苛立ちがつのっている」といった声が聞こえる中で、相談員のみなさんもストレスが溜まっているという。小山内代表は「皆さんが元気にならないと仮設のみなさんも元気にならない。ご自分が元気になってくださいね」と呼びかけた。

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翌日は、大槌町福祉課健康推進班との共催による「指導員養成講座」。大槌町さわやかウォーキングの会(28名)と大槌町食生活改善推進員団体連絡協議会(8名)からなる32名の健康推進員のみなさん(全員女性)が参加して、実施した。受講者からは「何分、何回やればいいのか」「炎症を起こしている場所もやったほうがいいのか」などの質問があり、小山内代表からそれぞれに「一人ひとり身体の状態が違う。ご自分の身体の声を聞きながら、やってください」「炎症を起こしている場所はやらないよりやった方がいい。やさしくやってあげてください」などと答えた。
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4カ所で健康棒ワークショップ

健康棒ワークショップは私たちの支援活動の原点ともいえる安渡小学校応急仮設住宅はじめ、小鎚第4仮設のエコハウス「おおつち」と高齢者グループホーム「エールホーム」、そして「サポートセンター和野っこハウス」(恵水溝仮設)の4カ所で実施した。
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安渡小学校はグランド一杯に仮設住宅が建設され、安渡小の子どもたちは統合した学校に移った。8日午前中、大地震以降3回目の健康棒ワークショップを行った。なつかしい人たちとの1年3ヶ月ぶりの再会。90歳の男性も元気に参加した。

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9日は、小鎚第4仮設のエコハウス「おおつち」(参加者18人、写真上)と高齢者グループホーム「エールホーム」(同12人)。平地が少ない大槌町は二つの川、大槌川と小鎚川の上流に沿って仮設住宅が造られた。狭い山間の田畑や空き地に造られたので各仮設住宅の戸数も少ない。

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小鎚川上流の小鎚第4仮設、エコハウス「おおつち」で、私たちは安渡地区の地元料理「ごまごはん」とけんちん汁を参加者のみなさんといっしょにご馳走になった。「ごまごはん」は運動会のときなどに作るご馳走。安渡の人はおにぎりにしても食べる。みなさんの年齢を聞くと80歳前後の方が多い。

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続く「エールホーム」(写真左)には、98歳の方が参加した。聞くところによると、息子夫婦を津波で失い、天涯孤独の身になってしまったそうだ。ここでは前日の健康推進班の指導員養成講座の受講者がもう少し勉強したいと、また養成講座に参加できなかった健康推進員のみなさんら5名が参加してくれた。

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翌日は初めて訪問する「和野っこハウス」(参加者9人)。大槌川に沿ってクルマで20分ほどの上流にある。周囲の仮設住宅は300戸を超えるというから町内最大規模だ。「和野っこハウス」は大槌町から委託を受けて、大槌町社協が運営するサポートセンター。ワークショップにはそこの社協職員3人が参加し、今後もワークショップを行いたいと、お昼の時間帯も事務所でDVDを見ながら練習をしていた。

三陸復興の旗手、再開した旅館「宝来館」

7、8日は釜石市の根浜海岸にある旅館「宝来館」に宿泊した。4階建てのこの旅館は2階まで津波に浸かったが、その直後避難所になって120人余が半月だけここで生活した。元気の固まりのような女将岩崎昭子さんは津波が押し寄せる中、「早く、早く逃げて」と叫んでいるうちに自分が津波にのまれたが、なんとか裏山に逃れ、九死に一生を得た。再開に向けて改修工事真っ盛りの2011年11月、2回目の東北支援の際に、工事関係者が引き上げた夜になると人気のまったくなくなるこの旅館に私たちは泊めてもらった。そして、昨年の1月ようやく旅館が再開できた。被災者でもある番頭の伊藤聡さんは、震災後NPO法人ねおすのスタッフとして仮設などの被災者支援に活躍。現在は「三陸ひとつなぎ自然学校」を立ち上げ、地域の子どもたちの学び場づくりや「復興ツーリズムツアー」に取り組んでいる。この日も県外からのボランティア10数人の参加する「釜石おかえりなさいツアー」が行われ、女将岩崎さんの震災語り部に参加者が耳を傾けていた。
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私たちは2日間、松林の向こうに大槌湾の静かな海を見ながら、三陸の海の幸をふんだんに使った旅館の料理を堪能した。

h2. 大槌を終の住処と定めて

9日に泊めていただいた山崎盛(さかり)さんは70歳。新日鉄釜石を40数年勤め上げ、定年退職後の人生を送っているさなか、大津波に襲われ、大槌町桜木町の自宅の1階が浸水した。花巻に避難する間もなく妻を病死で失い、2重の失意の中、ゆいっこ花巻のサポートに心身ともに助けられたという。近所の家はみんな流されたが、山崎さんの家だけは土台と柱がしっかりしていて残った。資材と職人の調達に時間がかかり1年1ヶ月かけてようやく改築が終わった昨年夏、花巻から戻った。3人の子どもたちは家族を持ち、関東や下関に住んでいるが、それぞれの部屋を用意して孫を連れて帰ってくるのを心待ちにしている。いつ再び津波が襲ってくるか分からないが、終いの住処として選択した山崎さん、ふるさと大槌の自然と風景が自慢であり、誇りでもあるようだ。寒い部屋の中で、山崎さんの心の暖かさだけは充分、伝わってきた。(了)